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「駅伝」と皇學館
「大正4年卒業記念」(皇學館大学館史編纂蔵) 館町校舎前で撮影。中央が武田千代三郎。
「駅伝」の名付け親は、神宮皇學館の第6代館長・武田千代三郎(たけだちよさぶろう)です。大正6年(1917)4月、京都から東京までを走るイベント(奠都記念駅伝徒歩競走)が開催されました。この大会を、「駅馬」「伝馬」といった交通制度にちなんで、武田千代三郎が「駅伝」と名付けたのです。
武田千代三郎は、秋田県などの知事を歴任し、大正2年9月に神宮皇學館の館長に着任しました。在職中、陸上運動の研究と奨励に情熱を注ぎます。大正7年に校舎が館町から倉田山へ移転した際には、当時画期的であった1周300メートルのトラックやフィールドをもつ陸上競技場(現在の第1グラウンド)を整備しました。
大正7年4月に大阪への転勤となり、武田館長は皇學館を去りましたが、皇學館ではたびたび「駅伝大会」が開催されました。昭和12年、伊勢・熱田両宮参拝東海学生駅伝競走に、神宮皇學館の学生が参加し3等に入賞しています。翌年以降も参加を続け、昭和15年には優勝を果たしました。
こうして、「駅伝」は皇學館の歴史と共に歩み続けましたが、戦後は部員不足などにより、厳しい時期が続きました。
ですが、平成19年、皇學館大学に駅伝チームが誕生し、翌年には部に昇格。駅伝競走部として強化を開始しました。武田館長が「駅伝」と名付けてから100年後の平成29年11月、皇學館大学駅伝競走部は、秩父宮賜杯第49回全日本大学駅伝対校選手権大会において、初出場ながら17位と好成績を残します。同年12月に開催された第79回東海学生駅伝対校選手権大会では、77年ぶり2回目の優勝を遂げました。
武田館長が名付けた「駅伝」の歴史と伝統を受け継ぎ、
皇學館大学の駅伝競走部は現在も躍進し続けています。
〈参考文献〉
『伊勢と皇學館の140年』(学校法人 皇學館、令和4年)