おうちで神道博物館 まなび

千束屋の社会事業①

                「牛谷坂道筋切広ケ入用金寄附願上口上(写)」 (神道博物館所蔵)

 

牛谷坂【うしたにざか】は、古市から内宮へ抜ける険しい坂として知られていました。

文化2年(1805)9月、千束屋【ちづかや】初代市右衛門は、親類の千切屋源助を保証人として費用を寄附する形で、自治組織である会合所へ、牛谷坂の改修工事を願い出ます。 

「牛谷坂道筋切広ケ入用金寄附願上口上(写)」からは、地域への貢献と同時に、神宮に対する崇敬の念からの改修工事願い出であったことが読み取れます。

                    「参宮谷坂切広普請金子寄附ニ付覚」 (神道博物館所蔵)

 

牛谷坂の改修工事にかかった総額は、一千両にもおよんだと言われています。

そのうちの八百両は一度に寄附しており、改修工事に対する千束屋の熱意がうかがえます。

牛谷坂の改修工事の功績は高く評価され、千束屋初代市右衛門は苗字帯刀を認められたそうです。

四代目市右衛門も、初代の功労により、明治2年(1869)に苗字帯刀の許しが与えられています。

 

<参考文献>

『伊勢の歌舞伎と千束屋-神都に伝わる伊勢人のこゝろ-』(皇學館大学佐川記念神道博物館、平成20年)