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『大嘗会便蒙』
文正元年(1466)12月の第103代・後土御門天皇の大嘗祭以後、大嘗祭は220年余りにわたり中断してしまいます。中世期は戦乱や皇室の貧窮が続いており、即位礼・大嘗祭を行うことが難しい時代だったのです。江戸時代に至り、貞享4年(1687)11月の第113代・東山天皇の大嘗祭において、ようやく大嘗祭が再興されました。
次の第114代・中御門天皇は大嘗祭を行うことができませんでしたが、元文3年(1738)11月、第115代・桜町天皇の時に再々興され、その後は途切れることなく続いています。
桜町天皇の大嘗祭は、幕府の主導によるものであったことが指摘されています。幕府は大嘗祭の次第を視察するよう、国学者の荷田在満に命じました。
荷田在満(1706~51)は、江戸時代中期の国学者です。姓は羽倉とも称します。荷田春満(1669~1736)の甥であり、のちに養子となって家業を継ぎ、田安宗武(1715~71)に仕えていました。
幕府の命を受けた在満は、京都に約一ヶ月間滞在し、桜町天皇の大嘗祭を拝観・調査を行います。江戸に帰った後、幕府に復命報告書である『大嘗会儀式具釈』全九巻を撰進しました。
同年に実父を亡くしている在満にとって、実際の祭儀の拝観については、自粛せざるを得ないところもあったようですが、『大嘗会儀式具釈』は儀式次第文ごとに詳細な注釈を施しており、執筆のために多くの先行儀式書等を参照したと思われます。
翌年、在満は『大嘗会儀式具釈』を簡略に記した『大嘗会便蒙』を公刊しました。
『大嘗会便蒙』(神道博物館所蔵)
公認の報告書とは別に『大嘗会便蒙』を公刊したことが幕府の忌諱に触れ、これをきっかけに荷田在満は閉門を命じられることとなりました。
『大嘗会儀式具釈』(神道博物館所蔵)
大正4年(1915)、大正天皇の大礼にあたり特旨をもって荷田在満に従四位が贈られました。写真資料の『大嘗会儀式具釈』は、贈位恩典のために大正5年(1916)に刊行されたものです。『大嘗会便蒙』公刊の顛末についても、本資料の附録『大嘗会便蒙御咎顛末』に記されています。
〈参考文献〉
・加茂正典「『大嘗会儀式具釈』管見」(『朱」39号、平成8年)
・『即位礼と大嘗祭』(皇學館大学、令和元年)