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伊勢歌舞伎浄瑠璃年代記

皇學館大学佐川記念神道博物館所蔵(上:本文記事/下:本文末尾)

 

 伊勢で芝居が上演されるようになるのは、江戸時代初期の寛永年間(1624~1643)と言われています。もともと伊勢には中世から伊勢三座(和屋【わや】・勝田【かつた】・青苧【あおそ】)による能などの伝統が存在していました。「伊勢歌舞伎」が発達した伊勢の地が、江戸・京・大坂の三都に次ぐ田舎芝居第一の土地として、さらに東西歌舞伎の交流点としての役割を果たした背景には、中世以来の文化的土壌と、伊勢参宮の活発化によって多くの参宮客が全国から押し寄せたことが大きく影響しています。

 伊勢には、「古市【ふるいち】」と「中之地蔵【なかのじぞう】」(現在の中之切町)の町に常設の芝居小屋が置かれ、これらの町は「間の山両町【あいのやまりょうまち】」と称され親しまれました。特に古市は、両宮を結ぶ中間点に位置しており、多くの参宮者が往来したことから、伊勢随一の歓楽街として栄えました。

 『伊勢歌舞伎浄瑠璃年代記』【いせかぶきじょうるりねんだいき】は、元禄3年(1690)から寛政10年(1798)に至る芝居記録で、上段に古市、下段に中之地蔵で興行された芝居の役者名などが記録が記されています。題箋・内外題などの書名は存在せず、書写者も不明です。書写年次は、本文末尾に「元禄三庚午年ヨリ寛政八年丙辰マデ百七年ニ成/正徳元辛卯年ヨリ寛政八年マデ八十六年ニ成」と見え、寛政9・10年の記事が確認できるため、寛政10年をそれ程経ない時期の成立と推定できます。内容は、芝居の詳細な実態・評判を主に、曲馬・相撲などといった他の興行も記述されています。

「油屋騒動」に関する記事(寛政8年)

 

 『伊勢歌舞伎浄瑠璃年代記』の記述の中で特に注目できるのが、「油屋騒動」【あぶらやそうどう】に関する記事です。

 「油屋騒動」は、寛政8年(1796)に伊勢国古市の遊郭「油屋」にて、遊女お紺【おこん】をめぐって実際に起こった殺傷事件です。5月4日の夜中、医師である孫福斎【まごふくいつき】が遊郭「油屋」に立ち寄りお紺に酒の相手をさせていたところ、お紺が途中で離席したことに腹を立て、持っていた刀で男女10人ばかりを殺傷。お紺は難を逃れましたが、斎は逃走し自害したといわれます。

  日本三大遊郭のひとつと言われる古市の妓楼で起こったこの事件は、たちまち全国で話題となり、事件のわずか数日後、「油屋騒動」を題材にした『伊勢音頭恋寝刃』【いせおんどこいのねたば】が上演され大きな反響を呼びました。当時の歌舞伎演目は、実際に起こった事件を題材とする「際物」【きわもの】が多く作られ、一種のスキャンダルの役割を果たしていたとも言えるでしょう。

 

 

<参考文献>

『伊勢の歌舞伎と千束屋-神都に伝わる伊勢人のこゝろ-』(皇學館大学佐川記念神道博物館、平成20年)