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貞観儀式(山田以文写)

神道研究所所蔵(上:『貞観儀式』乾坤/下:「践祚大嘗祭儀」上の冒頭部分)


 『貞観儀式』【じょうがんぎしき】は、貞観14年(872)から同18年(876)の間に成立したと考えられる朝廷の官撰儀式書です。特に巻2から巻4までをあてた「践祚大嘗祭儀」【せんそだいじょうさいぎ】は、践祚大嘗祭の諸儀式の典拠として重要視されています。また、巻5には「天皇即位儀」の次第が記載されています。本資料の書写を行った山田以文【やまだいぶん】(1761~1835)は、江戸時代後期の国学者で、有職【ゆうそく】や和学をもって世に知られています。

 本資料の特徴は、「英」「恵」「兼」の三文字の最後の一画がすべて欠画となっている点です。「英」は後桃園天皇、「兼」は光格天皇、「恵」は仁孝天皇の御諱であることから、以文本『貞観儀式』では欠画としています。また、表紙には「阿波介以文蔵」、朱で「平田君ニ呈ス」とあり、当資料の研究によると、平田篤胤【ひらたあつたね】に山田以文自身が校訂した『貞観儀式』を進呈した(または進呈することを考えていた)のではないかと推測されています。

以文本『貞観儀式』に挟み込まれていた山田有年(以文の孫)の案文

 

 山田以文の『貞観儀式』には、以文の孫である山田有年【やまだありとし】の「不参御届」案文(草案・控え・写しとして作成された文書)が挟み込まれていました。内容は、神祇省大神部に勤める有年が、「所労」により大嘗祭豊明節会(辰日節会)【だいじょうさいとよのあかりのせちえ(たつのひのせちえ)】に奉仕できない旨を、神祇省に上申するというものです。

 当資料の研究によれば、資料の状況から少なくとも明治4年(1871)11月時点では、以文本『貞観儀式』は孫の有年の所持本であったとされています。

 

 

<参考文献>

・加茂正典「神道研究所所蔵山田以文校訂『貞観儀式』十巻」(『皇學館大学神道研究所所報』83、平成24年)

・『即位礼と大嘗祭』(皇學館大学、令和元年)

最後の一画が欠画となっている「英」「恵」「兼」

本文中には、山田以文が校訂した朱筆が散見する